2005-01-01から1年間の記事一覧

ニチジョウの花

ニチジョウの花がきれい コムラサキシキブの花がきれい このコムラサキシキブの このムラサキが なにか なにか なにかニチジョウで でもたぶん ニチジョウはムラサキなんかじゃなくて 花なんだよって たぶん言いたいんじゃないだろかって 影 私が手に触れる…

 立ち現われる

書き綴る やはり<立ち現われる>こと。 けいさん、元気?そっちはもう寒いでしょうね?秋の水の礫がボクの肌を撃つ。そして秋の花が実をつけている。2005-10-13からこちらのはてなにシフトして、ボクはもう少していねいに書き綴れないかと思う。2005-09-26 …

人の知恵とは何か?

御心を知る人の知恵とは何か? 天を仰ぎ賛美を唱えパンを裂き弟子に渡したイエスはキリストの核心といわれているのだが、満腹のためにのみ施しても、人は何れ去るのかも知れない。たが御心を知る愛こそボクらのまなかにあり、神の国はボクらのあいだにあると…

知ることとは

光は空なるもので、光には実体もなく、現象でしかないのだから。また可視光線はボクら人間の受容器たる眼を通して確認されるにすぎない。きれいな虹の七色がある。太陽の光が水滴によって分光されるのだと分りだしたのは17世紀だったのだが、しかしニュート…

ボクら人間の側の問題

コンピュータはそれ実体の中で「do・やる」というプロセスの中でしかリアリティを持ち得ない。ならそれをもっと確かなものにするにはどうする?うん。そのリアリティを揺さぶる?ってやればいいのだろう。ただ画面を見ていても何も始まらないのだから。リア…

新たにされて

ボクの内にも形相 - emmaus.hatenablog.jp的像(イデア)を入れる器があって、そして他方魂の記憶が次々に新たな像が日ごとに別な方に注ぎ込むのだ。有を越えたひとつの有を見るのである。 ある時、明かりひとつない真っ暗な広い無人の工場でNC工作機器が動…

 観る

神は人の眼を後ろでなく前につけられた。ならば観ることとは何?過去を振り返ることとは何か? 眼前に広がる世界は何か? 人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし これに心を向けられるのか。 朝ごとに訪れて確かめ 絶え間なく調べられる。 い…

 属性

なぜ属性か? 結局わたしたちが話し合ったり、考えたりしていたことは、 属性に関する問題だったんじゃないかって思い、 インターネット神学のサブタイトルを変えてみた、どうでしょう? この属性の問題を、先人たちも苦労しながら考えてきたんではないか。 …

 Vezelay にて

午前8時、内陣のもっとも奥の真ん中の窓、太陽がお出ましになる。 光になぞられる。わたしは目も開けられなくなる。 光の本性(nature)にくるまれる時、ただ、頭をさげて、 浮き出されたわたしそのものに、なる。 by けい

そよぎのようななぞり

浸食はない うん。むろん、わたしとあなたのサーフェースに浸食(まざる)はないといえる。いやまた多少のギザギサがあったとしても、でもどうだろ?やっぱり結果は「私」だし、「あなた」だということの了解は認めてみる。そうしてまた次のように予備的にも…

 Image

Image à la sauvette (fr édition) 逃げ去る心象 ... 認めることさえかなわず逃げゆく速やかなる像 ...わたしたちの中心にある一つの宮を像は次々と遁走し逃げ去る...。 その逃げ去るイメージを保ちながらわたしの中心に立ちすくみ・・・を再読してみた。

 右、左

Christian Right http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_right Christian Left http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_left by けい

 主体

わたしがあなたに混ざったり、あなたがわたしに混ざったりすることは、 たぶんあり得ないということをまずは認めてみる。 そのうえで、 わたしはあなたの出来事に徹底介入し、わたし自身をもあなたに投げ込む、 ということが可能かどうかを考察する。 あなた…

 le sujet

主題le sujet どのように主題を否定できるだろうか?それは確かに必要である。それはまるで私たちのもっとも個人的な世界の中にあるように、この世界に、すべての事柄の中にある。だから、すべての事柄を前に自覚的であること、私たちが感じているものの前に…

 見る

by けい(Télérama hors série"Henri Cartier-Bresson/L'OEIL DECISIF"p22"1935 HCB par George HOYNINGEN-HUENE") 決定的な瞬間のないこの世界には何もない Cardinale de Retz

 カメラとは

私にとってカメラはクロッキー帳であり、直感の装置、内から沸き出でる自発性の装置であり、またそれは視覚言語によって問いと決定を同時に行う瞬間の支配者である。世界に「意味を与える」ためにには、ファインダーが切り取る対象に自己が巻き込まれている…

 なぞる

なぞることの可能性 カルティエ=ブレッソンなぞってみた? ボクもHCBにいっていろいろ観たり、また新たに知ったりもした。 でモゾモゾ解ったりした。 でもって新たなエントリーにしてみたさ。 っていうのも。 カルティエ=ブレッソンの写真は なんだかヤンチ…

 顔

そうだね、まず、見るだけ見ようかな。でも問題はさ、 神の顔。 神のヴィザージュ 神のイマージュ わたしは何を見てるのか?って問い。by けい

 顔 

まずはしばらくゆったりと・・・ アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真を見るのもわるくはない。http://www.photology.com/bresson/Bottom2.htm 何も予見もなく、ありのまま?に人の顔を観ていこうではないか。 顔を観る だが、このわたくしの顔だけはいつに…

 かたち・歴史

だから、なぞっているものが何か?は問うてみないとね。 わたしは何をなぞっているのか。 かたちには歴史性が在る。 by けい

 顔のかたち

by けい(Télérama hors série"Henri Cartier-Bresson/L'OEIL DECISIF"表紙)

 花のかたち

by けい

 Les figures

というわけで「顔」について考えてみる。 êtreとétant 顔があると顔であるの問題。 by けい

 わたしの中心に立ちすくみ、わたしを見る何者か

http://d.hatena.ne.jp/karpos/20050505 わたしの中心に立ちすくみ、わたしを見る何者かどの体験もすべて相対化されていく。崖までたどり着いて、崖のむこうの「何者か」との交流をつかさどった「素晴らしきものたち」は、どんどんその崖になだれ落ちていく…

 will do

http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20050504 イエスはいう。「私の教えは私のものではなく、私を遣わされたお方の教えである」と。「そのみ旨を行おうと望む者は、私の教えが神ものか、あるいは私自身が話しているのかをしるだろう」と。ヨハネ 7:16-17その机を…

 立ちすくむかたち

by 氷柱

 立ちすくむ人