顔 

まずはしばらくゆったりと・・・

アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真を見るのもわるくはない。http://www.photology.com/bresson/Bottom2.htm
何も予見もなく、ありのまま?に人の顔を観ていこうではないか。

顔を観る

だが、このわたくしの顔だけはいつになっても顔そのものを観ること(知ること)はないだろう。そのこともまずはウッチャテ顔を観ていこう。その「自由」はあるのだから。顔のコウベを縦にも横にも振ることは出来るのだから。

ヤンチャな思慮の「良識」

その自由の大前提において、かのヤンチャ!で思慮深いデカルトはあの方法序説に「良識」と書き記したのだろう。時あたかも反宗教改革の相克の時、1616年にコペルニクスの書が法王庁において禁書目録に加えられ、1633年ガリレイ断罪の時でもあった。しかし、ただデカルトは自らのためにその書を著わしたのだった。わたしたちを「人間たらしめる」ことにおいて著者名なしで出版したのだった。だがまた、諸学問がまったく人生に役立つものでないことを知り得て書をすてて旅にでたデカルトを思うと、何だか可笑しく嬉しくほくそ笑んでしまうのは不謹慎ではないと思えてくるからふしぎだ。彼の「良識」もまた新たに意味深いものとなる。
by 氷柱