ボクら人間の側の問題

コンピュータはそれ実体の中で「do・やる」というプロセスの中でしかリアリティを持ち得ない。ならそれをもっと確かなものにするにはどうする?うん。そのリアリティを揺さぶる?ってやればいいのだろう。ただ画面を見ていても何も始まらないのだから。リアリティはボクら側の問題であって、コンピュータ側の問題ではない。
案ずるよりも考えるよりも何か?を入れて「Enter・実行」だ。その基本は今も昔もコンピュータは変わらない。(ところでボクの父は、生前古希の祝いボクらが贈ったマックのクラシックを前に電源を入れずにメールをずっと待っていたそうな。それはそれで微笑ましくもあり、そうも誰もやりそうで分る気もするのだけれど(^_^);)。せいぜい電源オンしてマウスを動かしてみたらどうだろうか。NTT InterCommunication Center [ICC]

そうしてボクらは

もっと目的を持ったクリエイションをしなくちゃいけない---自分の持っているものを素直に他者に伝えるための道具---身体の中に眠っている記憶を新しいメディアを使ってどうやって取り出すか
藤幡正樹 http://www.ntticc.or.jp/Collection/Interview/Fujihata_M/index_j.html

それは何よりも自分の中の不明瞭な形態だったもの(わたし・あなた)が記号(メタファーやメトミニー)を通すことで明快な実体を伴ってやってきたと言うことだった。だがそれがmetaphorであって、simileではないということの了解が何よりも必要だ。

またかつて藤幡は「コンピューターの宇宙誌」でCGの思考の有り様を次のような言葉で対比している。
ギリシャからローマへ。立体から平面へ。真実から虚偽(作為)へ。」このリアリティは修辞をはるかに超えて実体そのものを明らかにしてくれるのではないか。